俳句/川柳


うたのわ

「うたのわ」
 http://utanowa.net/
日々の感動、思いを『五・七・五・七・七』の三十一音に込めて伝える、日本的スタイルのコミュニケーションサイトです。




というサイトがあった。パソコンで縦書きはなぜか読みやすい。
元々日本語はたてがきだし。
目の水平移動の横書きより垂直移動のたてがきのほうが楽なのか?

たまに,ギターなどを弾きながら歌を歌うが
英語の歌詞を日本語に自ら訳して歌っている人もYOU TUBEなどでも
よくみかける。

日本語でいうと長いが英語だと短い
逆もあるのだろうけど、
直訳すればながいのがおおいね。


俳句はわりと一般的だけど和歌は作った事がないひとが
おおいかもでしょう。

ここのサイトをの歌を読んでいるちになにかつくりたくなりました。
世の中、お金かけずに、言葉でいくらでもあそべるね。

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大晦日(おおみそか)定めなき世の 定めかな

ひと月の最期の日をみそかといいます。一年の最期だから
大晦日というんですね。
井原西鶴の句で

大晦日 定めなき世の 定めかな

という句があります。
この世の中明日はどうなるかきまってません
それにしても、時間はきまったようにきちんと
すぎてゆく・・
どうなるかわからないこの先、はかなさ、
つらい・・日々です。

だから、大晦日があけて迎えた新年をめでたいと
喜び祝ったのでしょう。

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大晦日(おおみそか)定めなき世の 定めかな

ひと月の最期の日をみそかといいます。一年の最期だから
大晦日というんですね。
井原西鶴の句で


大晦日 定めなき世の 定めかな


という句があります。
この世の中明日はどうなるかきまってません
それにしても、時間はきまったようにきちんと
すぎてゆく・・
どうなるかわからないこの先、はかなさ、
つらい・・日々です。

だから、大晦日があけて迎えた新年をめでたいと
喜び祝ったのでしょう。

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坂の上の雲 正岡子規 ホトトギス

NHKで坂の上の雲をやっている
私は正岡子規はよくしらないし、興味もなかったが
昨日のドラマの中で喀血している
正岡子規、22歳のときだ肺結核。
それから13年いきて35歳8月で大量の喀血9月に死去

正岡子規の
子規とはホトトギスの異称で、結核を病み喀血した自分自身を、
血を吐くまで鳴くと言われるホトトギスに喩えたものである。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)から引用』



ホトトギスは血を吐くまで本当に泣くのか?私はしらない・・

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無季自由律

咳をしても一人

・・という尾崎放哉の句がありますが
これが俳句なのかなんなのか、わかりませんが

無季自由律とかいっています。
季語も無し、五七五の定型もなし

俳句といわれれば、そうかも、俳句の心があれば俳句。・・


尾崎放哉
放 哉の作風は静のなかに無常観と諧謔性、そして洒脱味に裏打ちされた俳句を作った。性格は偏向的であり、自身が東京帝国大学法学部を出ていながら、他の法学 部卒業生を嫌うという矛盾的性格を持ち、また酒を飲むとよく暴れ、周囲を困らせたという。唯一の句集として、死後、荻原井泉水編『大空〔たいくう〕』(春 秋社、1926年6月)が刊行された。
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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村上鬼城(むらかみきじょう)

冬バチの
死にどころなく
歩きけり

(村上鬼城の句)

飛ぶ力もなくとぼとぼと歩くハチは冬をこすこともなく
いつか死んでいくのでしょうね。
「死にどころなく」・・というのがなんともあわれというか
人間、いつかはしぬのだし悲しいけど現実かな・・
その現実をどう受け入れる事がその人の自己がどこまで
完成の域にあるかで様々でしょうね

村上鬼城は耳が聞こえなく、それでも2男8女をもうけ
貧乏のなかで創作に励んだ、
晩年、大新聞の俳句の選者になることで安定をえたとのこと・・

自分もクリエーターとしてなんか身につまされ、晩年の域に位置し
安定したいと思うこのごろです。

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自由律俳句

風邪がはやってますね
友人もインフルエンザにかかったようです。
菌の潜伏期間は2週間ともいわれていますが・・
どうなるやら・・

尾崎放哉の句で

咳を

しても

一人

という3.3.3の9音の句がありますが
自由律俳句※ですね

なんだか一人暮らしのときの風邪をひいて寝込んでいて
食べる物もなく、だるい体で買い物にいった独身の日々を思いだします。


自由律俳句※
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

自由律(じゆうりつ)とは、五七五の定型俳句や五七五七七の定型短歌に対し、音数にとらわれない主張、またはその作品をいう。

俳 句では季語にも縛られず、心の動きをそのまま自由に、かつ自然に表現するとする主張もあるが、通常は一句一律、内容に即した律を持つという主張である。こ れを内在律ともいう。 文語や「~たり」「~けり」「~かな」などの古典的な言葉遣いを避け、現代口語で表現するということも特徴の一つである。
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最近の心境

私は自由業でフリーのイラストレーターですが
年々減り行く仕事量になにか心に風がふいて
これでいいのか・・と自問の日々ですが
これで終わらないまだまだ希望はあるとの思いです。

だんだん過去の人間になっていく自分が悲しいかな・・
けど・・

「遠山(とおやま)に 日の当たりたる 枯れ野かな」
(高浜虚子)

最近の心境ですね・・・
余談ですが
高浜虚子は来年著作権保護期間すぎましたけど継承者(高浜喜美)がいると思います・・

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川柳ってなに?

最近、ネットを徘徊していますと、川柳などを楽しむサイトやSNSなどのグループに
よくでくわします。
私もSNSの中で自由業の川柳グループにいれられていますが・・
あまり投稿はしないけど、
自由業の悲喜こもごもの句を読んでいますと・・
なにか、共感するものも多くあり、気持ちを代弁してくれているようで
発散できますね。
早く言っちゃえば、定型詩をかりた愚痴なのですが
そこが、川柳にすると愚痴が落ち込んでいかなく明るく気持ちが重ねることができます。
せっかくつくったものは、ながされていっちゃうのも
もったいないので
ここでもご紹介しますね。
下記に川柳と俳句の違いを説明してくれているサイトがありますので読んでください。↓以下引用
・俳句は、主に自然を対象に詠むことが中心でですが、川柳では、人事 を対象に切り取ることが中心です。俳句では、詠嘆が作句のもとになり
 「詠む」といいますが、川柳では、詠ずるのではなく「吐く」「ものす」な
 どといいます。決して、詠ずるものではありません。
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五月雨

今日は雨。
五月雨ですね。
芭蕉の句に夏の季語「五月雨」を詠んだものが、
数あるがちょこっと紹介。


五月雨を集めて早し最上川
(さみだれをあつめてはやしもがみがわ)

あまりに有名な句ですね。

五月雨の空吹き落とせ大井川
(さみだれのそらふきおとせおおいがわ)

大井川は江戸時代,幕府の命で橋をかけるのを禁じた。
一種の関所みたいなもの、江戸に一気に攻め上られては困る
という意味なのか・・
芭蕉は3日間の川留めにあった東岸の島田宿ですごす・・
旅心おさえがたく3日間の苛立と不安が空吹き落とせの願いなのか

五月雨に御物遠や月の㒵
(さみだれにおんものどほやつきのかほ)

晴天を待ち望むこころを月に託す

五月雨にかくれぬものや瀬田の橋
(さみだれにかくれぬものやせたのはし)

五月雨に瀬田の大橋がけぶるようすが風景画のようだ・・

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